学校の勉強とダンスの学び
スタジオのレッスンで一番時間を使うのは『カラダの使い方』。
昨日のレッスンは体の向きからの動作がメインでした。
チカラの抜き、方向、軸、位置、意識の話をします。
受講者でそれぞれ癖があります。
力んでいる人、軸が取れていない人、向きが違う人…
勿論、複数違う人も居ますが、順序立てて改善していきます。
力んだり、軸の無い人等に共通することは、やろうとしている事。
やろうとしては出来ないんです。
じゃあ、どうするのか?
そうなるんです。そうなれば、出来るんです。
なんか哲学的?ですよね。
僕の先生の一人で『ストリートダンスはライフスタイルだ』と仰いました。
今は物凄く解ります。
僕の中でヨガとストリートダンスは通ずるものがあります。
ヨガも実践の中で発展した哲学です。
ストリートダンスも実践の中で発展するもの。
生活=ストリートダンスです。
ストリートダンスはイメージでHIPHOP等で『悪い奴ら』を思い浮かべる方もいらっしゃるようですが、HIPHOPは音楽であり、それだけです。
音楽を表現し、音楽と繋がる。音楽が無くても音はある。それを表現する。正邪混濁した感情を表現する。
カラダを使う以上カラダの事を知り、それを実践する。
学校の勉強では学び得ないことをダンスは教えてくれます。
学校の勉強は殆どが回答の或るものを問題として出します。いい授業では回答のない問題を出すこともあるでしょう。
ダンスはそもそも回答が無い。体の使い方でさえ、自分が感じないと正しくないのです。
こうやるとこうなる、と言っても頭で理解していても体で出来ないという事は、頭での理解はそれほど重要でないのです。
子供たちは頭の理解より先に体を動かします。
だから、感覚的に出来る事が多い。でも、その先が『何となく出来た』で終わってしまう事もしばしば。
勿論、頭でも理解したほうがよりち密になります。
しかし、大人は頭で理解したと思っているだけの事が多いです。
『頭ではわかっているんだけど…』
残念。それはわかっていません(笑)
学校の勉強、ダンスの学び
先程も書きましたが、学校の勉強は答えのある問題で構成されています。
僕は歴史が好きなんですが、歴史って一昔前と答えが変わっている事もありますよね。
鎌倉幕府は1192ではなく、1185である。
1185の時点で源頼朝が敵対する平氏を滅ぼし、さらに朝廷から自分の家来を諸国の守護、地頭などに任命する権利を獲得したことという考え方と、1192で源頼朝が征夷大将軍に任じられたという年という考え方です。
もう、考え方で年号が変わっているんですよ。
じゃあ、1192作ろう鎌倉幕府じゃなくて1192しよう、頼朝征夷大将軍でしょ?となります。
そして、元寇も神風で追い払ったと教えられますが、壱岐では元軍との決死の戦いが繰り広げられていたことはあまり知られていない。本来はその戦いこそ面白いのに…何故蒙古が襲来したか、どんな経緯があったか。
近代史であれば『占守島の戦い』も知られていません。
ただ年号を憶える、事件を憶える事だけで、占守島の戦いはなぜ起こったか、どうすればよかったか、どうすれば避けられたか。そういうディスカッションが最も重要だと思われますが、ただ物覚えを良くする訓練の為に授業として組み込まれているのは歴史好きには遺憾の思いです。
ダンスも勿論歴史がありますが、歴史を知らなくても楽しむことは出来ます。ただ、相手の文化に敬意を表す意味でもある程度は知って欲しい思いはあります。
ダンスは憶える対象ではありません。振付は記憶の部分に相当するかもしれませんが、『出来る』為には何が必要か、どうすればいいか、何が足らないか。
個人だけでなくチームになれば音楽をどうするか、衣装をどうするか、メンバーをどうするか、舞台構成をどうするか…
すべて実践で、それが積み重なって『自分』が出来てくるわけです。
学校の勉強をしながらでも出来る。だって…
学校の勉強をしながら出来るのはダンスだと思います。
その理由は…道具が要りません。
体一つで練習が出来る。それがダンスだからです。
楽器は道具が無ければ出来ません。スキーやスケボーも道具が無ければできない。
でも、ダンスは畳1畳あれば可能です(breakinは除く)
僕は年齢を重ねてからダンスを始めましたが、パソコンを触っている間にHITの練習をしたり、文書を読みなからアイソレーションをしていました。
レッスンに行って、学んだことを何度も何度も練習しました。いつでもどもでも。
1日の中で『今からダンスの練習します』という時間を作らなくてもダンスの練習が出来る。
それがストリートダンスなんです。
子供でも大人でも、自分の体を知り、自分の体を操り、表現する。
これをもっと広げていきたいと思います。
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