そもそもスタジオを作ったのは?
WORDPRESS(このホームページの形式)になってから、スタジオを作ったのはなぜか、理念について記載したことがなかったんで、ちょっと書いておこうと思います。
まず、ダンスとの出会いから話していきましょう。
1.ダンス甲子園のときは興味がなかった!
おそらく僕がダンスに一番最初に出会ったのはピンクレディーでしょう(笑)
ピンクレディーが流行していたころは生まれたばかりで記憶もありませんが。
さて、そこから10年がたちダンス甲子園でダンスブームに。
その頃…まったく興味がありませんでした。
どすこい同好会や戸塚ヨットスクール(今考えれば危ない名前のチームだなぁ)みたいな逆のチームは覚えてます。
その頃ですね。
ZOOのCHOO CHOO TRAINが流行ったのは。
時系列でいけば
1989年 ZOO結成
1990年 ダンス甲子園開催
1991年 Choo Choo Trainリリース
https://www.youtube.com/watch?v=4miHg7mD_EQ
しかし、これもスルーでした(笑)
この頃は空手やってましたね~。
2.きっかけは『RAVE2001』
ダンスをやりたい!と思ったきっかけは『RAVE2001』という番組。
RAVE2001は調べたところ(wikiが無かったので、自己調査)、1995年辺りから放映していたダンス番組でTRFのSAMさんの監修の元、ギャグの無い、最後までストリートダンスシーンを真面目に牽引した番組だったと思います。
その頃は大学卒業してフリーターやってる頃でしたかね。バイト終わりでなんとなくテレビ見ていたら…
うわっ!やばい!
これはダンス甲子園(この時は中学生でした)にはない感情が巻き起こりました。
めちゃめちゃ感動したんですよ。
この感動を自分も人に与えたい!
そんな気持ちからダンスを始めました。
しかしですね、地元にストリートダンスなんてしている人間はいない。
23歳の時ですから、同級生にそんなことをしている人間なんていないわけですよ。
じゃあ、スクールがあるかっていうと無い!今でこそ、結構な数のダンススタジオがありますけど、その時は岡崎、名古屋くらいまでいかないと無かったんですね。
だから本屋に行ってダンスの本を探したり、毎週RAVE2001は欠かさず見てました。
現代のようなYOUTUBEやWEBで検索することもできなかったので、とにかく情報を得るのが大変でした。
世の中って不思議ですね。
ダンスをやる!って思った瞬間から、テレビ欄でもダンスをフィーチャーした番組を見つけたり(NHKだったんですけど)。
おなかが痛くてトイレに立ち寄ったバッティングセンターで『ダンススクール始めます』という張り紙を見つけた時は『運命だ!』って思いましたね。
そのスタジオが安城だったんです(今はもうありませんが…現在、その場所はドンキホーテになっています)
ちなみにその時はフリーターやってまして、国家Ⅲ種(郵政省)の試験勉強もしていました。
『まず試験勉強だろ!』と思うでしょうが、やりたい気持ちがまったく抑えられなかったですね。
3.スタジオを作ろうと思ったのは。
スタジオを作ろうと思ったのは、前項で述べたスタジオが無くなるときに名古屋に行く人が多かったんですね。
しかし、名古屋に行くと上手くなる、ということが嫌で(笑)、都市部(たかだか名古屋で都市部というのも今では恥ずかしいですけど)に行かずに上手くなってやらぁ!と思って頑張っておりました。練習場所は…名鉄西尾駅です。
今はどうなってるんだろうな~。
スタジオを安城に作ったのはJR沿線っていうことと、やはり最初に習い始めたのが安城だったから、かもしれません。地元は安城ではないので、地の利は使えていませんからね。
今までのダンス人生の中で、大阪、東京、NYも行ったりしました。
特に大阪にはお世話になりました。
ダンスだけでなく、武術系のワークも学び、体を動かす基本、いかに負担をかけずにダイナミックに動作を展開するか、そのようなことも考えるようになり、現在に至ります。
今はダンスシーンといえば、KIDSですが、僕は現在41.もうすぐ42になります。
しかし、20代30代の時よりも今のほうが体が利きます。
ただパワーで動作をするのではなく、『動作の基本』を少なからず会得しているからだと思います。
Kidsがこれを得られれば、怪我をのリスクを減らしたパフォーマンス(ダンスに限らず)が出来るし、大人は年齢を重ねても使える体になります。
そういうことを伝える場所として今、存続させています。
そして、その土地ならではのオリジナリティの出せるシーンを創造したいですね。
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