自信は相対的なものだから、それを理解すれば振り回されない。
ダンスを指導していて、なかなか思うように動けていない人、すっと動ける人を見てきました。
この『なかなか思うように動けていない人』と『すっと動ける人』。
どちらがいいですか?
『すっと動ける人』でしょうか?
『なかなか思うように動けていない人』ってどんくさいって言われますよね…
じゃあ、やっぱり『すっと動ける人』かな?
これを置き換えてみましょう。
『なかなか思うように動けていない人』を『時間をかけてその動きを楽しめる人』
『すっと動ける人』を『すぐ出来てしまい、その動きの達成感が薄い人』
あれ?
『時間をかけて動きを楽しめる人』がちょっと良く見えますよね。
なかなか思うように動けない人は、時間をかけて動きを楽しむことができ、達成感もひとしお。
さらに動作自体を理解するので他の動作にも活かせる素養があり、なかなかできない動きに出会っても出来る自信を持つことができ、大器晩成な人。
おぉ、いいことづくめです。
『それはよく言いすぎでしょ!』って思いますか?
では、出来なくてやめてしまう人や、出来ないって思う人は何故そうなるのでしょう?
走ることを例にしてみましょう。
僕はランニングがあまり好きではありません。
しかし、短距離は好きでした。短距離はそこそこ速かったんですよ。
でも、長距離は昔太っていたこともあって苦痛でしかなかった。
だから楽しくない。
短距離が好きだったのは速かったから好きだった。
速かったから、というのは相対的なものです。
誰かよりも速い、誰かよりも遅い。
遅かったら好きじゃないのか。
結局、何かと比較して遅い速いを決めて、好きか嫌いかの基準に変換してしまっている。
誰とも比較しないで短距離を走りまくるか?というと…やらないでしょうね。
今は5kmとかランニングします。
以前は毎日10㎞走っていましたが、ちょっと忙しくて最近は走っていません。
ランニングは大会に出るためでもない。
誰かと一緒に走っているわけでもない。
一人で走るんです。でも、毎日やっていました。
相対的に判断する余地もない。だとしたら、短距離を走るより、長距離の方が好きなのかもしれません。
勿論、走る理由は色々ありましたが…
僕の中でダンスもそうです。
人から褒められたい、もてたい気持ちで始めたわけではなかったので、ひたすら練習しました。
自分が出来ない部類ということは解っていましたが、それでも毎日練習しました。
理論も何もない、ただ習ったことをひたすらやるだけでしたが、続けてきた結果、今があります。
ひょっとしたら、出来ない時の方が楽しめていたのかもしれません。
『やった!出来た!』とか、『こうやったらやりやすいかも!』という発見も昔の方が多かったし、がむしゃらに出来ました。
だからこそ、ダンスのジャンルに限らず新しいことに取り組むようにしています。
別に人に指導する為、仕事に役立てるためではありません。
ただ、これをやりたい、こういう風にしたい気持ちだけでやってます。
僕もどちらかというとネガティブな方でしたが、『今は出来ないけど、やれば出来るわ』というメンタルがついているので、新しいこと、新しいところに行くことに物怖じしません。
寧ろ、自分が出来ないことを実感したほうが『おぉ!まだ伸びるぜ』って思うようになりました。
人生の大部分は相対的です。相対的が良くないとは言いません。
ただ、絶対的も相対的も自分でバランスを取ることが大事だということに気付きます。
相対的に見ると凹んだりする人は『周りに引っ張ってもらえる』って思えば凄いプラスですよ。
自分がみんなより出来て楽しいと思える人は、自信満々で楽しく過ごせますよね。
何でも想い方ひとつだと思います。
自分に自信のない人は相対的に見すぎてるなぁと思えばいいし、子供さんが自信を失っていたら自分に集中するようにする、つまり、昨日の自分よりよく出来てることを褒めればいいのかな、と思います。
ただ、なんとなく自信がないと感じる人が多いと思うので、少しそういうことを理解すれば、考え方が変わるかな、と思います。
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