ダンスノートを付ける意味

スタジオでは16:50のクラスだけダンスノートを付けています。

ダンスノートを付けることは『こども』のうちは意味があります。これは『しっかり話を聴く』という習慣がつくからです。

『ノートを付ける』こと自体はそれほど重視していません。

こどもは『書かなければ覚えられない』なんて脆弱な記憶力でもないですし、子供たちに話す情報量なんて、そこまで多くはないんです。

しかし、ノートを書く必要があるから『話をしっかり聞く』という態度が整います。

本来は『ノートの添削』も行った方がいいですが、それだけでレッスン時間が終わってしまう。

だから、初期段階での『ノートの付け方』は自由です。

ノートの付け方はレベルで変わる

ある所からは『書き方』も重要になってきます。

ほとんどは『先生の言ったこと』を書いているだけでしょう。
ステップの名前がこれで…足をしっかり開くとか、手を大きくふる、という内容ですよね。

これでは学校教育と同じです。

そんなことは本来は動いてカラダが覚えるモノ。

そして、『書いたこと』で満足してしまう状態では意味がありません。

正直、ダンスノートは『レベル』で全然変わってきます。

基本的には『ダンスレッスン』ですので、『ノートの書き方』までは指導しません。

『ノート』はアウトプットのツールでもありますが、一番のアウトプットは『誰かに教えること』。

だから、子供たちの一番のアウトプットは『親御さんに話すこと』なんですよね。

じゃあ、ノートはアウトプットには適していない?

僕の考えは『アウトプット』のツールではないんです。

ダンスは『カラダ』でアウトプットするものだから。

ダンスノートは気付きと目標を書くもの

小学校で書いたノートをいまさら開くおとなはいますか?

ノスタルジーに浸るのであればあり得ますが、おとなになってから小学校のノートを開いて復習しようと思う人はいないはずです。

きちんと人の話を聴く習慣が出来たのであれば、ダンスのレッスンでノートを付ける必要はありません。

そんなノートを書く時間があれば、動いた方がいい。

僕はレッスン中に生徒の『チカラの流れ』を見ているので、それを見て全体にアドバイスをしています。

動いている子を基準にアドバイスをするので、その子は自分にアドバイスをもらっているようなものです。

じゃあ、ダンスノートはどう使うべきか?

これは自分がどうなりたいか?それに対して現状はどうか?

そういう事を決めてダンスノートを作っている子供はいないでしょう。

ただレッスンをするだけ、振付をするだけでは『振付を憶えて間違えなくなる』ようにはなっても、ダンスが上手くなるかというと…レッスンをたくさん受けて向き合う時間が多ければ上手くなるでしょうが、週1,2ではなかなか難しいでしょう。

だからこそ、ダンスノートの書き方は重要なんですね。

これはダンスだけでなく、あらゆることで使える能力になります。

教える人はノートの付け方が違う

ダンスノートで『ステップ名』や『教えの内容』も必要な時はあります。

それは『体系化』『教義化』しようとする人は必要かもしれませんが、そういう人はレッスン中に『書く』事はしません。

終わってから今日の内容だけでなく、気付きや今までの自分の知識や経験を照らしあわせて体系化するわけです。

実際、僕の頭の中は体系化されているものはありますが、頭の中であって、『文章』としてアウトプットしていないだけです。

勿論、指導している『入門』~『初級』レベルはロジックとして体系化していますが、それ以上のレベルで会ったり、究極的な体の使い方はロジックにしていません。

誰かに指導するわけでもなく、自分自身が分かっているので、必要ないんです。

おそらく、道を究めようとしている人はいちいち体系化しないと思います。

宮本武蔵も若いころに『五輪の書』は書いていないです。死の直前2年前に書き始めたそうです。

僕も晩年くらいに『真のカラダの使い方』を体系化するかもしれませんね。

誰も教えてくれないなら

日本の学校教育では『自分で考える』教育はまだまだ先でしょう。

現代は『おとな』が『こども』に教えられることが本当に減っていると感じます。

ノートの付け方もそう。学校教育のノートの付け方はダンスでは意味がありません。

何故なら、『テストに出ないから』。

それよりも大事なことがある。

しかし、それは学校では教えてくれない。

じゃあ、スタジオで…しかし、『そんなことはいいからダンスのレッスンしてくれればいい』という方もいるでしょう。

だから、本気コースやパーソナルのみでしかやりません。

というか、本気でなければノートを書けないからです。

本気コースでも『本気レベル』によってはノートを付けるのも難しいかもしれません。

だから、『本気』を育んでいくしかない。

いや、本当は『本気になれる場所がないから本気になれない』のかもしれません。

『本気で向き合う場所がない』

『本気でやると変な空気になる』

『間違えないようにやるのが正しい』

『間違えると叱られる』

だから、『本気』というベクトルに向かない理由なのではないかと思っています。

みんな可能性の塊だけど、その可能性を自ら閉ざすのは心苦しい。

であれば、本気になれる場所を作る。

しかし、本気の段階もそれぞれ違うから、『本気度合い』でクラスを分ける。

そういう習い事があってもいい。

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